甲子園で高校球児たちが砂を持ち帰る理由!いつから誰から始まった?
甲子園といえば高校球児たちが砂を持ち帰るシーンが有名ですよね。
そこで今回は、
・なぜ高校球児たちはあの甲子園の砂を持って帰るのか?
・いつ誰が持ち帰り始めたのか?
といった疑問にお答えします。
本記事では
①甲子園で高校球児が砂を持ち帰るのはなぜ?
②甲子園の土は誰がいつから持って帰り始めたの?
といった内容で解説していきます。
ただの砂じゃないから!甲子園で高校球児が砂を持ち帰るのはなぜ?
高校球児が甲子園の砂を持ち帰る1番の理由は、甲子園に出場したという記念のためです。
高校球児にとって甲子園は憧れの舞台。
甲子園出場は高校球児の全員が叶えられるわけではなく、各都道府県での厳しい予選を勝ち抜いた高校しか出場できません。
特に愛知、神奈川、大阪では、200校近い高校が甲子園を懸けた予選に出場するので、甲子園で行われる本大会を勝ち抜くよりも大変といわれています。
激戦を勝ち抜いてようやく甲子園への切符を手にする選手たちにとって、甲子園で試合ができるというのは本当に名誉なこと。
高校球児がそんな甲子園の砂を持ち帰るのは、甲子園出場の記念となるのです。
私も小学校、中学校と野球をしていましたが、黒土と芝生の本格的な球場でする試合では、いつも以上に興奮したのを覚えています。
大会敗戦後は球場の黒土の砂を記念に持って帰りましたよ。
私レベルの野球経験ですが、甲子園なんて本当に聖地ですよ、本当に。
そりゃ記念に砂くらい持って帰りたくなりますよね。
ちなみに「記念」以外で砂を持ち帰る理由も挙げておくと、
- 敗北を忘れないため
- 再び戻ってくるため
- 母校のグラウンドに撒くため
といった理由もありました。
高校球児が甲子園の砂を持ち帰る1番の理由は、甲子園に出場したという記念のためです。
あの大投手がきっかけ?甲子園の土は誰がいつから持って帰り始めた?
甲子園の土は誰がいつから持って帰り始めたのかというと、
1937年、第23回大会で決勝戦に敗れた熊本工業の投手、川上哲治さんといわれています。
のちの読売ジャイアンツの監督にもなった有名人。
決勝戦が終了後、ユニフォームのポケットに甲子園の土を入れて持ち帰り、熊本工業の練習グラウンドに撒いたといわれています。
ただ川上哲治さん本人はこの諸説を否定しており、土を持ち帰った理由に関して、「他の選手が同じことをしているのを見たから」と語っているそうです。
調べていると川上哲治さん以外にも2つ諸説があるので紹介しておきます。
1つ目は、1946年、第28回大会で準決勝で敗れた東京高等師範付属中、(現在は筑波大学付属中学校・高等学校)の佐々木迪夫監督です。
準決勝で敗れた際、「来年またこの土を甲子園に返しに来る」という意味を込めて、3年生以外の選手たちに各ポジションの土を手ぬぐいに包み、持ち帰らせたそうです。
2つ目は、1949年、第31回大会の準々決勝で敗れた小倉北高校(現 小倉高校)の福島一雄投手です。
試合の敗退後、ホームベース後方で足元の土を無意識にズボンの後ろポケットに入れ、持ち帰ったとされています。
私が調べた限りで甲子園の土を最初に持ち帰ったのは、川上哲治さんという説が有力です。
現在は見当たらなかったのですが、阪神甲子園球場のサイトにも初めて甲子園の土を持ち帰った人として、川上哲治さんが記されていたとの情報もあります。
まとめ
本記事では
①甲子園で高校球児が砂を持ち帰るのはなぜ?
②甲子園の土は誰がいつから持って帰り始めたの?
といった内容で解説しました。
高校球児の夢の舞台である甲子園。これからも見ている人に感動を与え続けてくれるといいですね。